株式会社PurEsprit
代表取締役:沖本 順子
【略歴】
・経理事務として働く
・突然ガンになり、2度命を助けられる
・その一件を機に「人を助ける仕事、医療か介護の仕事をしたい」と感じ、後先考えず退職する
・闘病生活の影響で右腕の感覚がほとんど無い中、介護なら技術さえ覚えれば力がなくとも仕事ができることを知り、介護業界に飛び込む
・介護スタッフとして働き始めるも、最初の訪問で転倒事故を起こしてしまい、命を預かる仕事は自分にはできないのではないかと自信をなくす
・そんな私を、当時の東部医療センターの外科部長が救ってくださる
・現場経験を積む中で、介護職の置かれている状況や障害者の在宅ケアのあり方に疑問を抱くようになる
・講師をしていた現取締役の浅野に誘われ、介護業界を少しでも改革できるよう、会社を設立する
Q. なぜ障がい児のケアに力を入れているのですか?
重度の障がい児のいるご家庭の場合、お母さんはその子にどうしてもつきっきりになってしまいがちです。もしその子の下に妹さんがいたとしても、その子の面倒をみないといけないため、お母さんはほとんど家から出られないことがよくあります。
そのため、妹さんの運動会にも、発表会にも、お母さんが見に行ってあげられないんです・・・。たとえ妹さんがあまり愚痴をこぼさなかったとしても、やっぱりどこかで我慢はしているし、寂しい思いもしていると思うんですよね。そんな時に、私たちを利用して欲しいなぁと。
もちろん障がいを持った子が悪いのではありません。その子がいるからこそ、家族の絆が強まったり、生きる喜びを他の人よりも味わえたりすると私は思うんです。
ですから、もっともっと日本の社会がこうしたご家族を支えられる体制を作っていってあげなければいけないと思うんです。そして私たちは、その一つの力になりたいと思っています。
Q. 沖本さんが目指す介護のあり方とはどのような形ですか?
今の介護制度や大手のやり方だと、本当に困っている人のところに救いの手が届いていません。こうした方々は、誰に助けを求めて良いのか分からなかったり、どんな福祉サービスを受けられるのかも分からなかったりします。そのせいで、お身体が段々と悪くなるに従って、一つずつ何かを諦めていってしまうんです。そんな網の目から溢れた方々に対して、私たちは手を差し伸べ、人間らしいイキイキとした生活を送る手助けをしていきたいと考えています。
例えば、先日もこんな方がいらっしゃいました。その方は、何年もお風呂に入っていなかったんです。洗濯さえもできていませんでした。病院へ入院し、歩かなくて良い生活を1週間ぐらいしてしまったせいで、筋力が衰えて自分の部屋から出られなくなっていたんです。
でも人間であれば誰だって本当はお風呂に入りたいし、体も清潔にしていたいんです。ですから、うちのヘルパーさんたちが一丸となってちょっとずつお風呂やお部屋を綺麗に掃除してくれました。やっとお風呂に入れた時、本当に喜んでくださいました。生きている限り、こうした人間らしい生活をさせてあげたい、それが私たちの目指す一つの介護のあり方です。
Q. 介護職の置かれている状況への疑問とは、具体的にどういったことですか?
まだまだ現場では、介護職=お手伝いさん、というイメージを持たれていることが多いんです。例えば、在宅ケアのために訪問に行ったとします。訪問看護の方と一緒にヘルパーさんが仕事をするケースもよくあるのですが、看護師さんの助手のように指示され、扱われてしまったりするんです。
ですが、医療と介護は本来別々の仕事です。医療業界の人は、病気や機能障害などを起点に物事を考えます。一方で介護業界の人は、その人の暮らしや幸せを起点に考えます。どちらも大切な視点だと思うんです。
また、私たちの9割は介護福祉士などの国家資格も持っています。専門職としてのプライドを持って仕事をしていますし、常に研鑽もしているつもりです。ですから、お互いに尊重し合い、専門性を生かした仕事を通じて、利用者さん(患者さん)の健康と幸せを実現できる環境を作っていきたいなぁと考えています。
NPO法人ことだま
理事長:浅野 憲二
【略歴】
・土建屋の息子として生まれる
・大学卒業後、26歳頃まで家業の手伝いをする
・病院に転職し、介護スタッフとして勤務する
・首の椎間板ヘルニアになってしまい、手腕が麻痺して仕事ができなくなったのを機に退職
・半年間のリハビリでなんとか回復する
・32歳の時に介護職以外での就活を行い、就職氷河期に3社から内定を得るも、ある方の生き様に影響を受け、再度介護系のNPOで働き始める
・現場でケアをする傍ら、講師として後進の育成に励むようになる
・介護職のあり方や理想のケアを求めるため、現代表の沖本と一緒に会社を設立する
Q. なぜ土建業から介護職に転身されたのですか?
きっかけは姉の一言でした。実家の土建屋の仕事をしていた私に「あんたは本当は何がやりたいの?」と言ってきたんです。姉とはそんな話を今まで一度もしたことが無かったのでビックリしました。そして自分なりに考え抜いた末に出てきた答えが、「カウンセラーがやりたい」でした。
そこからはもう、なすがままでした。姉の勤めていた病院の事務長に突然呼ばれ、「カウンセラーでは就職先が厳しいから、似たようなカウンセリング業務を行う国家資格の『社会福祉士』という仕事があるよ。」と紹介されたんです。それで、社会福祉士の勉強をしながら、そこの病院で介護スタッフとしても働き始めました。
正直言って、当時の私には介護職のイメージが悪かったため、最初は本当に渋々でした。でも、たくさんの利用者さんから有難い経験をさせていただく中で、「何て楽しい仕事なんだろう!」とのめり込んでいったんです。
Q. 浅野さんにとって、この仕事のやりがいは何ですか?
色々な人の人生を垣間見れたり、人との濃い関わり合いの中で生まれる物語が魅力ですね。
例えば、私が最初の病 院を辞める時、ある利用者さんから突然お呼ばれされたんです。そして、こう言われたんです。
「浅野くん、辞めるんだってね。あなたは頑張ってたし、本当は辞めて欲しくなかったな・・・。」
普段そんなことを言うような方では全然なかったし、今までの思い出が一気に蘇ってきて、もう感激して涙ダラダラですよ。その時思ったんです。『人に感謝されるっていうのはこんなに嬉しいものなんだな』って。そして『もっと成長して、もっと楽しみを与えられるような人間になろう』って。
それから、もう一人すごい印象的だったのが、周りの人にいつも暴言や暴力を振るうので、介護スタッフがみんな嫌がっていたあるお祖父さんです。他のスタッフでは手に負えないので、私がずっと担当していたんですけど、ある時その方が亡くなられてしまったんです。そしたら、奥様がこんな話をして下さったんです。
「あんな人だったので、ちゃんと面と向かって接しくれたのはあなただけだったのよ。不器用だから自分では言えなかったけど、本当はあんの人も浅野さんにとっても感謝していたと思うわ。」
もちろん日々のケアの中では紆余曲折ありましたけど、『やってて良かったな〜』って、私の方が感謝で胸がいっぱいになりました。
Q. 浅野さんの夢は何ですか?
利用者さんとご家族、そして地域の方々が一緒に寄り添える、そんな村やコミュニティを作って行きたいなと考えています。もともとこうした考えを持つようになったのは、山口県にある「夢のみずうみ村」の設立者である藤原さんの考え方や生き様をTVで見たからなんです。
今までリハビリと言うと、プログラムを提供者する側が中心で、自分たちが運営し易いような画一的な方法が取られていました。例えば筋力の衰えを防ぐために、集団で筋トレのような訓練をするようなイメージです。でも、これだと全然楽しくないので、やる気も起きないんです。皆さん筋トレがしたい訳ではなくて、ただ自分らしくイキイキとした生活を送りたいだけなので。
それに対して「夢のみずうみ村」では、パソコン教室やパン作り、プール、カジノ、のんびりするなど、自然とリハビリになるメニューを沢山用意して、その中から利用者さん自身が自分でその日のプログラムを決める「自己選択・自己決定」方式を取っているんです。スタッフはあくまでサポートするだけです。
他にも藤原さんたちは、従来のリハビリからすると革命的なことを色々とされて、そしたら要介護4だった人が要介護2になったり、要介護2だった人が要支援になったり・・・、と結果的にも凄い良かったんです。だけど、今の介護報酬制度では、要介護度が軽くなればなるほど事業所としては赤字になってしまうので、一時期藤原さんも事業を畳もうとされたらしいんですね。すると行政から必死に引き止められて・・・。
と、この話をすると延々と続くのですが、要は、介護を必要とする方がもっとイキイキと生活できる環境、ご家族や地域の方とももっと楽しく触れ合える環境を作りたいんです。そのためには、一企業の努力だけでは難しいので、NPOを立ち上げてちょっとずつ活動をしているところです。